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大阪歯科大学

大阪歯科大学OG・桝谷多紀子先生(ますたにデンタルクリニック院長)の記事が掲載されたのは、『週刊朝日』1月18日号の短期集中連載「定年後の女たち」。
夢と可能性のために何歳でも学び続ける女性として、これまでの歩みとともに見開き2ページで紹介されています。

小児結核のため小学校にはほとんど通えなかったという桝谷先生。14歳で宝塚と出会い、高校の3年間は音楽学校受験のために捧げたそうです。1966年に宝塚音楽学校を卒業。20歳で宝塚歌劇団花組に首席で入団し、「花園とよみ」の名で娘役として活躍。70年に退団後もNHK大河ドラマに出演するなど女優業を続けていましたが、心の中には常に欠落感があったそうです。大学に行きたかった……。

滑舌の良さと発声が大切な舞台、歯並びが悪いと体のバランスも悪くなります。歯科医になれば素顔で人と向き合えると思い、一念発起して歯科大学進学という目標をたてます。1年間独学で勉強した後、予備校に2年間通って大阪歯科大学に合格、36歳で歯科大生になりました。その後国家試験は4回目で合格、晴れて歯科医師になったのは45歳のときでした。
93年宝塚大劇場が窓から見えるビルの8階に歯科医院を開業。95年阪神・淡路大震災。診療所内の医療機器は全部落ちて壁には大きな穴が空いたそうです。

尊敬していた先生が認知症を患ったことがきっかけで、2006年には神戸大学大学院で老年精神医学を学び始めることに。還暦を迎えてからの大学院入学でした。10年医学博士号取得。桝谷先生の現在の研究対象は、命の終わりまで「人間らしく尊厳を失わないで最期を迎えるには」。

幼少時から病を患い、幾度となく人生の困難に立ち向かってきた桝谷先生。すぐには結果がでなくとも、諦めずに努力を積み重ねてきました。
「勉強は、目的や手段ではなく、自分の夢と可能性を広げること」「『ここで終わり』と思ったら、人生は終わりなんです」「何歳だから挑戦できないということはありません」
記事は、何度も挫折を味わいながらも逃げずに、負けずに乗り越えてきた人だからこそ云える、力強いことばで結ばれています。

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