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大阪歯科大学

EPISODE015

昨日より成長している自分かどうかを見つめ続けて

2018.6.25 歯学部 口腔病理学講座 教授
富永 和也

PAST

1これまで

いつも全力投球で、終わりのない病理学の分野へ

東海道五十三次の宿場町として栄えた滋賀県石部町(甲西町と合併し、現在は湖南市)出身の富永先生。『全力投球』を合言葉にする石部中学校を卒業するまでは地元で育ちました。小学校の頃は外で遊ぶこととウルトラセブンとが大好きで、将来の夢はウルトラセブンになること。中学生になると金曜夕方に放送されていたガンダムのパイロットになりたいと考えていました。
歯科医師になろうと本気で思ったのは高校時代。友人の言葉がきっかけでした。「ガンダムのプラモデルを作るのがそんなに好きなら、前歯にガンダムの顔を彫り込んで、上と下の歯に違う金属を使って冠(かぶせ)にし、咬んだときに出来る電気エネルギーを利用して目が光るのを作ったらどうだ」。面白いなと思い、そのためにも歯科医師にならないといけないなと、歯科医師であるお父さんの母校である本学を受験しました。

「子どもの頃の性格は、今と変わらずこんな感じ」と話す富永先生。「周りを気にしない、無邪気な男の子でした」。転機が来たのは18歳、高校生の時でした。「姉と母が家で夕食を作りながら喋っているのを見て、初めて、人の後ろに影ではない“幅”みたいなものがハッと見えた」。それはたぶん“人としての厚み”だったと振り返ります。「姉のその幅は分厚いなあと思ったら、母はそれ以上に分厚いと感じて」。その体験から、人の地位や肩書き、お金ではなく、その人の言動や経験、考え方などで、どういう人間なのかを見るようにしているそうです。「それがあって、自分が薄っぺらいなと思うようになって。それから自発的に本を読まないと、人間として分厚くなれないと気が付きました」。

本学に学部生として在学当時1、2年時は牧野学舎で講義があり、実家のある石部から大学まで1時間半かけて電車で通学していました。「ただ、帰る時は京阪電車で牧野から準急か各停に乗って丹波橋へ。丹波橋から近鉄の普通電車に乗って京都まで行き、京都からJRで草津まで行って、草津からJR草津線で家まで帰るんですが、この草津線の電車が1時間に1本あるかないか。だから、帰りは2時間以上かかっていました」。通学だけで疲れそうな乗り換えの多さですが、その間、何をしていたかというと、英語・ドイツ語の単語を覚えることと読書。「18歳の頃からやっと色々な本を読み出して、自分の幅を広げようと努めました。読んでいた本は、『少女パレアナ』とか『走れメロス』、『自信』から小林秀雄の哲学書までピンキリ」。走れメロスを読みながら電車で泣いていたら、どうしたんだという目で周囲の人に見られたりといったことが何度もあったといいます。「僕は涙腺が緩いので、すぐ泣いてしまうんです」。大学の近くに下宿したかったそうですが、お父さんから許可が下りませんでした。「そんな時、大学3年時に天満橋学舎で解剖実習が始まった。当時は、御遺体に失礼なので手袋は使っちゃダメ、マスクもダメという時代。そうすると実習後に手を洗っても臭いがとれない。そんなある日の帰り、満員電車なのに僕の周りにだけ隙間ができる。これ俺、臭うんだろうなあと父に相談したら、下宿してもいいことになりました」。

「道」という日本古来のものに触れたいと、大学で入った能楽部。「舞うにしろ謡(うた)うにしろ覚えることが多いんですよね。能は奥が深くて覚えるだけじゃなく、自分で研究しないといけない」。母方のおじいさんが独学で謡をしていて、声がよく似ていると言われていたそう。「能楽部に入ると言ったら、親戚中が喜んでくれて。それで結婚式で自分が舞うはめになりました。能楽部の先輩が来てくださって、後ろで謡って下さいました」。

大学在学中は特待生や総代を務め、人望も厚かった富永先生。遅刻や欠席は絶対にしないように、講義は全て一番前の真中の座席で受けました。講義中、眠くなったりしなかったのでしょうか?「眠い時間は絶対にあります。僕は最初、失礼だから寝ないように…と思っていました。そのうち、この先生は、きっとこの分野が好きなんだろうなあ、何が面白いんだろうと考えるようになると目が覚めてきて、じっと聞く、というような感じ」。学生たちにも、そんな風にアドバイスしています。
歯学部在学中に一番印象に残っていることを聞いてみると、「3年か4年の時、僕を含めた4人で『コーラに歯を浸けたら本当に溶けるのか』をやってみようと言って、実験しました。今のSCRPの走りですよね。そしたら大学か学友会から、補助金がもらえました。それで口腔衛生学と口腔解剖学、細菌学の講座の先生方に色々とお手伝いしていただき、まとめて文化祭でポスター発表しました。楽しかったですね」。それが、富永先生の最初の研究発表でした。

大学院に行きたいと思ったきっかけは、3、4年時の講義でした。「歯を抜くと歯槽骨(しそうこつ)に抜歯窩という穴があく。その穴がいつの間にか骨になって、ここに何も刺激を加えないと、またいつの間にか顎骨全体が吸収する——僕らの時代は、『生物は無駄なことをしない』と学んでいたので、この“無駄”がものすごく不思議でした」。それ以降、抜歯や骨についての講義後に必ず手を挙げて質問したものの、誰からも明快な答えは得られませんでした。抜歯創の治癒過程にとても興味を持っていたため、そういったことを実験できるのなら解剖に行くべきか、それとも病理に行くべきか、興味があった補綴に行くべきか、迷っていたといいます。「ある先生に相談したら、“終わりがない科目だと最初に感じた科目は何だ”と言われて。あ、病理だな、と。それまで前日の段階で8割以上採れる、うまくいけば満点が採れるという姿勢で試験に臨んでいたのですが、病理に関しては、かなり頑張ったのに、さあ6割採れるだろうか…という不安な思いだったんです。何を聞かれても答えられるかと言われたら、未だにすごく不安になる科目ですね」。

「鹿児島大学の浦郷篤史先生が退官される時に出版された本があって」と、その本を見せてくれた富永先生。「この二つの写真は血管の中に造影剤を入れて撮影している。片方は歯を抜いてから恐らく数日で、もう片方は数十年たっている。この二つ、血管の太さと量が圧倒的に違うじゃないですか。骨はすごく栄養を欲しがる臓器なんだと気付かせてくれた、すごい本」。1991年、富永先生が大学院入学の年に出版された本です。これを見たとき、「よし、これだ!」と思いました。「研究したいと言ったら動物でしなさいと言われたので、ラットで実験していました。ラットの歯を抜くとなると、教えて下さる方が居られず、かなり困って、まず骨格標本を自分で作りました。歯根の状態を見てやろうと思って」。下顎の歯は直視するのが大変です。そんな歯を抜くとなると随分苦労したそうです。抜歯の研究は世界中にたくさんありますが、富永先生のしたい研究は、絶対に下顎の歯を抜かないといけない。上顎の歯を抜いている文献は多いものの、下顎の研究は少なかったそうです。当時、抜歯のために自作した多くの器具を見せてくれました。「下の歯を抜くためにはどうしたらいいのか、さらに抜歯創の治癒過程を知りたいので、歯を抜いたあと、ラットには生きていてもらわないといけません。かなり試行錯誤しました。(墨汁標本を見せながら)これは血管から墨汁を入れて、透明にしたラットの下顎。血管だけが見えているんです。これを、歯を抜いて治癒した時と歯を抜いて1年たってからとを比較すると、経過が長い方は血管量が減っていて。抜歯後治癒した時はまだまだ血管がある。血管量が全然違うというふうに自分の中では答えが出ていて。じゃあ血管の量を左右させるのは何かと、だんだん興味が湧いてきましたね」。恩師の田中昭男先生を見習って、大学院時代は大晦日と元日、その翌日以外は、ほぼずっと実験をしていたそうです。

PRESENT

2

職責の重さを感じる日々

大学院卒業の1995年4月に口腔病理学講座助手となり、2001年から1年間、英国のKing’s College Londonに留学。2008年に同講師、2017年11月には口腔病理学講座第四代教授に就任しました。教授になるまでは研究、教育、附属病院での病理診断を行っていましたが、2018年春からは学年指導教授を委嘱され、学生教育と講座運営とに全力投球の毎日を送っています。好きな研究にはなかなか時間が割けませんが、教授として恩師が守り育ててこられた講座の伝統を引き継いだ今、「講座を守らないと…」と、その職責の重さを感じています。「こんな性格なので面白おかしく生きていますが、目の前にあることには全力投球しているつもりなので、やっぱり疲れるんですね。そんな時は抜け殻になったような感じです。でもオフにしたなら次は完全にオンにすることを意識して物事に取り組んでいるつもりです」。2年前に大病を患った経験がある富永先生。現在も服薬を続けています。「数百万人に一人の病気らしくて、ちゃんとした病名が付いていない。2年前、人生が終わったと覚悟しました。毎日毎日、悔いの無いように生きてきたよな…と思いながらも涙が出てきて、無理ができない身体になったんだと分かって」。それまでは多忙で無理をすることも多々ありましたが、その時に初めて、身体と向き合って仕事をしよう、と心に決めました。

2015年度第一期大阪歯科大学グッドティーチャー賞を受賞するなど、教育にも尽力している先生ですが、学生と接する際に心掛けていることはあるのでしょうか。「僕が18歳の頃から自問しているのは『今日の自分は、昨日の自分より成長しているか』ということ。自分が成長し続けているなら、学生さんが子どもに見えても仕方がないかもしれないという気持ちは持っています」。あとはやはり、その人の地位や肩書きで相手を判断しないということ。「学生さんたちは、もちろんそういったものを持っていないでしょうから、人として付き合うという気持ちが最初にあります。口腔病理学講座が担当する講義は全学年にあってコマ数も多いのですが、そんな気持ちを持ちながら、「病理学は面白い!」ということを伝えるように努力しています」。

FUTURE

3これから

次代を担う研究者の育成と歯科医学への貢献

「臨床現場で働く看護師や歯科衛生士、歯科医師の多くが『病理学は苦手』とおっしゃる。口には出さないけれど、あまりお好きではないのだなと感じることも」。でも、僕は好きですよ、終わりが見えない分野だと感じているので——と笑う富永先生。「医学部のある先生がおっしゃるには、病理学を極めようと思ったら内科学を勉強しろと。内科学を極めようと思ったら僕なんかあらゆる科目を勉強しなおさなければならないと思いますね。まだまだ未熟者ですよ…」。

「『継続は力なり』と言いますが、本当にそうだと思いませんか?続けていると、つらいことでも面白くなるときが来るでしょう⁉学生さんには、そんな体験の積み重ねをたくさんして欲しいです。積み重ねた分だけ、人間として分厚くなれると思っていますし…。研究は継続していると面白くなるんです」。

現在はなかなか研究に多くの時間を割くことができませんが、やりたい研究はたくさんあるそうです。研究を継続しつつ後輩を育て、それが口腔病理学講座、大阪歯科大学そして歯科医学への貢献に繋がることが富永先生の願いです。

PROFILE

2018.6.25 歯学部 口腔病理学講座 教授
富永 和也