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大阪歯科大学

EPISODE009

障がい者の健康獲得と社会参加のために

2018.1.15 障がい者歯科 助教
田中 佑人

PAST

1これまで

自分の研究が、世界中の誰かのためになれば良い

田中先生のこれまで

自信と行動力を持ちながら、どこか軽やかな印象の田中佑人助教は、大阪歯科大学附属病院の障がい者歯科で診療を担当されています。どのような思いで歯科医療人の道を歩まれているのか、お話を伺いました。
歯科医師一家で育ちましたが、小さい頃は「毎日を真剣に生きてなかった。内向的で何もしてなかった」と振り返ります。歯科医師になろうということも強く考えていませんでした。高校で文系か理系を選択をする時には、仲のいい友人が文系を選んだという理由から、自身も文系に進みました。「重要な決断をよく考えもせずにしてしまったことがすごく恥ずかしくて今でも反省している」といい、大学受験ではなんとなくいくつかの大学を受けたものの失敗。浪人し、今度は本気で歯科医師を目指して勉強に取り組みました。ただ、誰からも歯科医師になれと言われたことは一度もないそうです。「職業というのはツールであって目的ではなく、それを通じて何をするかということが大事だと思っていました。なろうと考えてなかった歯科医師を選んだのは、それでも身近だったからでしょうね、きっと」。

受験勉強はとても苦労したといいます。「歯学部って理系なんですよね。文系から理系に変わると科目が増えるんです。高校時代に習ってもいないような科目が増えて、それが受験科目になる。だから予備校に行って一生懸命、それはもう息をするか勉強をするかという感じで勉強しました」。両親からは何も言われなかったといいます。「両親の性格からするとすごく心配してたと思うし、言いたいことはいっぱいあったでしょう。腹立ってただろうし、勉強しろと思ってたでしょうが、全部飲み込んで。浪人しても勉強しなかったら、この上なく失望させていたと思います」と笑う田中先生は、無事に広島大学歯学部に合格。しかし大学では、1年生の時に1つだけ単位が足りず、進級できませんでした。「父は何も言わなかったが、母は泣きたいほどに悩んでたんじゃないだろうか。僕はなんてことをしてしまったんだ、と」。猛省した田中先生は、落とした単位を取った後、半年間アメリカに留学。英語の勉強に励みました。その後は大学を卒業し、国家試験に合格。大阪大学大学院で博士号を取得すると、カロリンスカ研究所(スウェーデンのストックホルムにある、世界最高峰の医科大学。ノーベル生理医学賞の選考委員を置く)で研究に従事します。研究所のスタッフから学ぶことが多かったのはもちろん、逆に彼らに自身の知見を教えることもたくさんありました。

「よく英語を勉強すると自分の世界が広がるとか自分の可能性が大きくなるとか、そういう『利己』的な理由で勉強していることが多いと思うんですけど、僕は『利他』の精神が必要だと思うんですね。英語以外でも、何かを勉強するときは、自分のためでもあり、人のためにもなると思えば、より頑張れるように思うんです」。利他の精神は、田中先生の信念であり、道しるべとなる思いです。「自分というものが重要なのは当然ですが、自分が発見した何らかの解決法やヒントを世界で発信すると、世界中で僕と同じ困難にぶつかっている人の手助けになる。少ないながらも、世界中の人の幸せに貢献できる。そのために英語が必要だから勉強する。自分だけのためじゃない」。先生の『誰かのために』という思いは、どこから来るものなのでしょうか。「開業医をしていた祖父はものすごくお金を稼いでいて経済的に豊かでした。一方で大学勤務の父はそうでもないなと子どもながらに少し感じていて、父も開業したらいいのになあと思っていました。なぜそんなに研究職というものにこだわるのか、と」。一方おじいさまは開業後、夜な夜な大学に通い学位を取られたといい、研究への憧れがあったようだといいます。「そういう二人の生き方を見ていて、研究って何のためにやってるんだろうと考えたとき、絶対に自分のためではなく誰かのためだと思ったんです。利己的な研究は意味がない、人の役に立たなかったら意味がない」。人を助けるという意味がある『佑』という文字を名前に持つ田中先生。名前を意識することは多く、名前負けしてはいけないといつも考えているそうです。

PRESENT

2

専門的な技術は、スペシャルニーズのために

現在、勤務されている本学附属病院の『障がい者歯科』は、日々多くの障がい者が治療に訪れます。「身体・知的・精神障がい者の手帳を持っている方々です。あとは最近話題になっている発達障害。それ以外にも障がい者というわけではないですが、すぐオエっとえずきやすい方や恐怖症の方もたくさん来られています」。専門性の高い技術を修得したのであればスペシャルニーズにも応えなければいけない。その気持ちを忘れず、日々現場に立っています。
「障がい者医療ってやりがいがあるんです。本当に困っている人の役に立っていると実感しやすいんです。また、知的障がい者や発達障害のある患者さんは意思疎通が難しいことがあるんですが、心理学の力を借りてアプローチをすることによって歯科治療ができるようになる(これを行動調整と言います)。そういった成功体験があると、患者さん自身はもちろん、その家族も嬉しい気持ちになります。子育ての時に得られる感動に近いものがあるんじゃないでしょうか。さらに、障がい者の家族は自分自身の健康に気を遣う時間や気持ちの余裕がないのかも知れないと感じることがあります。『よかったらお母さんの歯も治療しましょうか?』と声をかけると大変喜ばれた経験がいくつかあります」。
田中先生の夢は、障がい者の健康の獲得・増進と、障がい者の社会参加であり、それに少しでも貢献すること。「職業が歯科医師であるから、当然、歯科治療を通じた口腔機能の回復によって食事の楽しさをサポートするのは言うまでもありません。それに加え、一人の人間としてほかに何かできることはないかなと考えることが良くあるんです。『障がい者スポーツ』の活動はその一例なんです」。
現在は障がい者スポーツを支援する大阪のNPO法人の理事を務め、車いすテニスの全国選抜や障がい者水泳チームのジュニア合宿で歯に関するレクチャーなどを行っています。「障がい者の方は健常者と比べて引きこもりとか身体を動かさない時間が多く、深刻な『不活動』だったりして不健康な状態なんですね」。健常者がスポーツをする目的は健康の“維持”ですが、一方で障がい者にとっては、健康の“獲得”だといいます。

このほか、本学学生らに呼びかけ、障がい者スポーツボランティアに参加しています。パラリンピック正式種目の『ボッチャ』と呼ばれるスポーツ(イタリア発祥の障がい者向けスポーツ。陸上で行うカーリングのような感じ)の大会では、会場設営や選手誘導、審判補助など学生たちも積極的に動き回り、選手の方々と触れ合い、障がい者スポーツについて考える機会となりました。「スポーツを通じて人と人との信頼関係ができていると、田中先生なら診てもらってもいいかなという、医療者と当事者である障がい者との間の壁が崩せている気がします」と話し、学生たちにもボランティアを通じて感じて欲しいものがあるといいます。「僕自身もそうだったんですが、学生の時って歯科医師国家試験を突破するために一生懸命勉強して、開業して、歯科雑誌に載ってるような綺麗な歯を入れて、格好いい歯科医になりたい、というようなことを思っている人が多くて。その気持ちは良く分かるんですが、必ずしもそれと社会のニーズが一致しているかというと、違うと思う。これだけの障がい者が困っていて、それでも障がい者スポーツに参加されている方は社会参加しようと努力されている…そこから何か感じてくれたら」。

FUTURE

3これから

歯科医師になることがゴールではない

田中先生は現在、同世代の先生らと協力し、『未来院長塾』という小さなスタディーグループを主催しています。未来に院長になるであろう先生方へ、という意味を持つこの塾は若手の歯科医師に向けたもので、「医科歯科連携や、多職種連携など、現在問題になっている様々な医療課題に挑戦する勉強会で、毎月やっています。高齢化の加速により、患者さんや我々を取り巻く環境は時々刻々と変化しています。例えば、今自分が診ている患者さんが突然、意思疎通できなくなったり、口から食べ物を食べられなかったりする可能性があります。また、少子化についても問題提起していて、何らかの形で“子育て支援”ができないかと考えています。先人の知識・技術を受け継ぎながらも、診療システムや、働き方を柔軟に変化させていくには我々には何ができるだろうか、と一緒に考える場にしたいと考えています」。

今後の目標は、たくさんあります。「患者さんは家に、僕たちは診療室にいて、テレビ電話やSNSなどを使って遠隔で患者さんを見守る『遠隔医療』というシステムに興味を持っています。遠隔で歯を削るなどの治療は難しいのですが、むし歯や歯周病の発症や再発が起きないよう歯磨き指導をするなど、予防や治療後のリハビリテーションが適しています」。もし実現したら、患者さんは移動によるストレスがなくなるかもしれないといいます。「あとは地域医療機関に対する診療支援。テレビ電話やSNSを通じてリアルタイムに情報交換ができれば、大学病院などの高次医療機関による専門的な医療を、地域で提供できるかもしれない。移動が困難な障がい者には大きな助けになるんじゃないかと思っています。さらに少し前から注目されていることですが、バーチャルリアリティー(VR)を使った行動調整など。テクノロジーの進歩は目まぐるしいスピード感です。医療もテクノロジーの力を借りて発展を続けるべきです。SNSやVRはその一例です。それらを障がい者医療にも活かしたいと思っています」。まだ考えているだけですけれど、と前置きしながらも、その声には、実現に向けた確かな思いを感じました。

最後に、これから歯科医療人を目指して学ぶ学生たちに向けて贈ってくださったのは、歯科医師という強みを生かして誰かのために一生懸命になることができる田中先生らしい言葉でした。「利己の気持ちはもちろん大事ですが、利他の気持ちで学んだほうが楽しいと思います。歯科医師・歯科技工士・歯科衛生士になることがゴールではなく、職業というツールを使って、何を成し遂げたいかが大事だと思います。何を成し遂げたいのか、僕にとってのその答えは、『障がい者の健康の獲得・増進と社会参加』です」。

PROFILE

2018.1.15 障がい者歯科 助教
田中 佑人