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大阪歯科大学

EPISODE010

全ての人が幸せに暮らせる社会実現のために

2018.1.12 医療保健学部 口腔保健学科 准教授
濱島 淑惠

PAST

1これまで

全ての人が幸せに暮らせる世界と、入学式での涙

皆さんは『ヤングケアラー』という言葉を聞いたことはありますか?『家族の介護(ケア)を担う子どもや若者』を指す言葉です。ヤングケアラーに光を当て、彼らが抱える問題を調査研究し、支援に向けた取り組みを行っているのが、本学医療保健学部の口腔保健学科で教鞭を執られている濱島淑惠先生です。濱島先生を含むグループは一昨年、大阪府で高校生にアンケートを行い、約5200人から回答を得ました。これまでヤングケアラーに関する調査は小中学校などの教員を対象に日本ケアラー連盟等が数回実施していますが、当事者である若者に直接アンケートを行ったという点で、今回の濱島先生らが行った調査は子ども自身を対象とした初めての本格的な実態調査となり、マスメディアも注目しています。社会福祉、中でも家族介護が専門の先生に、歯科と福祉の関連や、本学で学生を教える意義などをお聞きしました。

福祉の道に進むきっかけは、中学校3年生の時に札幌から大阪へ引っ越してきた時に訪れました。「その時に大阪では人権教育が盛んで、それは札幌にいた時にはなかったことでした。学校で被差別部落の話や在日朝鮮人への差別などを聞いて、初めて天と地がひっくり返るくらい衝撃を受けたんです。多感な時期に大阪という今までとは違う環境に来たので、余計に強烈に感じたんだと思います」。これまで知らなかった差別問題という世界との出会いが、「このまま何も知らないままではダメだ」と思わせました。「それまで日本は民主主義で平和な国だと学んできたので、そんな理不尽な差別がまかり通っていることを本当に初めて知ってショックでしたし、それを知らない自分をすごく許せなかった」。知らないから仕方がないではなく、知らないことが差別を助けていると感じ、いろいろなことを知りたい、学ばないといけないと思ったといいます。「そこから、全ての人が幸せに暮らせる社会ってどうやったらつくれるんだろう、つくりたい、って思ったんです」。その思いを抱きながら高校に進学し、大学受験の時、「全ての人が幸せに暮らせる社会について考えられる学部・学科はどれなんだろう」と考えたといいます。「社会学がそれかな、と。社会福祉学というのもあって、どうもいろいろ見てみると、どうやったら幸せな社会を作れるかを考えられそうで、そこも受験したんです」。
結果は、「社会学の大学は軒並み落ちてしまって」。社会福祉学は合格し、日本女子大学に進学します。入学式では、第一志望ではない大学に入学することが悔しくて、ぼろぼろと泣いてしまったそうです。「おめでとうございますって言われたりすると、それがすごく悲しくなっちゃって。入学式のときってサークルのビラとか配ってるじゃないですか。私ぼろぼろ泣いてたから一枚ももらえなくて」と笑う濱島先生。しばらくは「ああ、もうちょっと違うところに行きたかった」と思っていたそうですが、福祉を勉強していくうち、面白さと学ぶ楽しさに気づきます。「女子大の良さというのもすごくあって、性別を気にする必要がない。女性らしくしなきゃいけないことも女性だから受ける理不尽もないし、自分の個性を伸ばして生きていいことがすごく心地良かった。福祉の面白さと、性別に縛られないでいいという女子大の自由さがすごく良かったです」。

大学在学中は、社会福祉の中でも『法制度』を専門にされている先生のもとで学びます。特に、人権を保障する法律・制度の在り方について学んでいたそうです。「やっぱり女子大なので、自立した女性、女性の人権とかそういう教育がすごく熱心な大学だったんですね。私が付いた先生も『法女性学』といって特に労働法の女性問題などを扱っている先生だったんですけれど、そこで社会福祉の法律について勉強して。卒業論文には、その時は外国人労働者がすごく多かったので、外国人労働者の生活保護の問題について論文を書きました」。将来の夢は考えていたのでしょうか?「ゼミの先生の研究とも関係したんですけれど、当時、女性は結婚や妊娠したら仕事を辞めるのが当たり前だったし、できる仕事もコピー取りとお茶汲みだけみたいな感じで、私のやりたい仕事じゃないなと思って。私はやっぱり社会福祉がすごく好きで、この道をもっと究めたかったので、よし、大学院いこう、と」。大学院では特に『福祉サービスの質の保障』について理解を深め、卒業後は大学などで介護福祉士や社会福祉士の養成に携わります。その後『家族介護者の生活問題とその政策的背景』と題した博士論文を書き上げ、博士号を取得しました。

そんな中で『ヤングケアラー』という言葉に出会ったのは、2010年、イギリスで行われた家族介護者の国際会議に出席した時でした。『Carers UK』という家族介護者の団体が主催したもので、そこで目にしたのは、かなり多くの人たちがヤングケアラーについて報告や議論をしている、「もうヤングケアラーの話だらけ」の光景でした。子どもが介護をするなんて、日本にそんな人いるのだろうかと半信半疑で帰国。しかしそういう視点で見ると、「たくさんいます。博士論文では大人の家族介護者の問題を取り上げたので、次は絶対に子どもの、ヤングケアラーの問題に取り掛かろうと思いました」。

PRESENT

2

ヤングケアラーが生きやすい社会実現のために

「ヤングケアラーという言葉は、和製英語ではありません。定義は、日本の場合はまだ言葉が普及していないため定まっておらず、国によっても微妙に違うのが現実。大まかに言うと、『家族の中にケアを要する人がいる。祖父母に介護が必要。母親が精神的に不安定。障がいを持っている兄弟がいる。親が外国籍で日本語が苦手…そういった何らかのケアが必要な家族がいるため、家事・介護・通訳・精神的サポートなど広い意味でのケアを担っている子どもや若者』のこと」。若者というのが何歳を指すのかも、国によって異なるといいます。

ヤングケアラーは、ケアを担う子どもがまだ成長過程であるということが一番の問題です。「老老介護であっても24時間365日介護するのは大変なことですが、家事や介護を学校生活と両立させていくというのは、知識やスキル、経験から得た知恵とか総合力がないと難しい。心身ともに成熟していないとうまくできないことであって、若くて元気だからできるだろう、ではないんです。若い人は成長過程であるがゆえに、勉強したり友人関係について経験を積んだり自分の未来について考えたり、それぞれの年齢に合わせたやるべきことが本当はあるはず。それができない」。子どもの頃にそれらができないと、これからの長い人生にも影響を与えます。「友人がいないとか勉強を十分にできない状態になると、将来的な不利が非常に大きくなってくる。そこが特に、子どもだからこそ支援しないといけない理由だと思います」。さらに、注目される以前からヤングケアラーはいたと指摘します。「学校の先生やソーシャルワーカー、民生委員の方は気づいてはいたと思います。子どもがしんどそうだな、介護してるな、学校に来なくなっちゃったなとか…でも『名前がついていない』ものは問題として捉えにくい、手が出しにくいというのが、日本社会にはある。児童虐待でもないし不登校でもない、非行でもないとなると、いわゆる児童問題の、どのカテゴリーにも入ってこない」と説明し、家の手伝いや家庭内の問題だろうと考える『日本独特の文化』が邪魔しているといいます。「見えているんだけど見てなかった。特別に取り上げようという動きはなかったんだと思います」。

濱島先生らのグループが行った実態調査でも、「ガードが固い教育業界で、よく校長先生方が許可してくださったなと。初めてのことで価値があるのは分かるけど、初めてだけに怖いというところがあったと思うんです。志の高い先生方がいらっしゃることを実感しましたし、先生方には感謝しても仕切れません」と話します。ただ、調査で抽出されたヤングケアラーは272人であり、調査対象は大阪府の一部でしかなく、今後も更なる実態調査が必要だといいます。さらに「何より必要なのはヤングケアラーという言葉の普及と理解。しかるべき大人たち、先生やソーシャルワーカー、医療職といった専門職の大人たちが、きちんと理解をしていることが必要です。お手伝いでしょ、別にいいじゃん、とかじゃなくて、彼らの抱えるしんどさを理解できる人を増やしていく。そのあとに一般の人たち。子どもたち同士でもちゃんと知っておく必要があると思いますね」。

また、ヤングケアラーは同年代の子どもたちと比べると家事などの技術が高く障がいや疾病に関する理解もある、自分の存在意義を感じている、家族との絆が強いといったプラス面もあるといいます。「彼らはすごく頑張っていて評価されるべき存在なんだ、ということをまず理解して、その上で彼らのしんどいところを社会全体で支えること。その両方が必要だと理解してほしいです」。
ヤングケアラー自身に対しては、「もしかすると介護やケアをしていることについて、言っちゃいけないと思っていたり、そう言われていたりする人がいると思うんですが、あなたたちがやっていることは恥ずかしいことでもなければ、あなたたちは可哀そうな人でもない。他の子どもたちが遊んでいるようなときに、一生懸命家族のために尽くしているわけだから、自分自身を誇りに思って良い。ただ、無理をしすぎてしまうと、心も体もしんどくなってきてしまうので、SOSを出すこと、大人の援助を受けるといっ
たことも大事です」と呼び掛けています。

FUTURE

3これから

歯科と福祉が融合して、その先に広がるもの

大阪歯科大学という歯科の領域で教育に携わる濱島先生。初めは戸惑いもあったそうです。「医療の現場はすごく厳しい。ちょっとしたミスも許されないのですごく規律正しいし、その中に挑んでいこうとしている学生たちが多いのは、さすが医療の文化だなと思います。ただ一方では強くいられない人たちもいて、なぜ弱い立場になるのか、どんな気持ちなのか、そういう人たちに医療職として何ができるんだろうということを、福祉の授業で伝えていけたらいい」。医療と福祉には、間違いなく接点はあると話します。「歯科と福祉を融合させることで、今までどちらの領域でも行われてこなかったようなことが、きっとできるんじゃないかな。今は分からないんですけれど、きっとなにかあるだろうと探しながらやっていきたいと思っています」。札幌から大阪に来た時も、国際会議でヤングケアラーという言葉を知った時も、そこには新しい発見がありました。未知の世界にぶつかったとき無理だと逃げず、何かあるのではないかと食いついてきたことが、現在の先生自身を形作っています。「歯科の領域にも絶対何かあるという思いでやっていきたい。その先にさらにもっと広がるものを、きっと学生たちは見つけてくれると思うので」。

最後に先生の夢を伺うと、「無敵のおばあちゃんになること!」と笑顔で答えてくださいました。「老後になるまで暇なんかできないだろうと思っているので、老後に期待をしているんです。心身ともに元気なおばあちゃんになって、家族や友人たちといつまでもおいしいものを食べて、旅行にも行って…という時間を過ごすのが夢です。老後になったら若い世代に任せて、きっぱり研究をやめます」と話す先生ですが、ヤングケアラーに関しては、自身が老後になる前に周知をして、支援活動が展開されている状態まではなんとしても持っていきたいそうです。「パワフルに動き回れるのはあと十数年くらいかなと思っているので、その間にそこまでは絶対持っていきたい。そのあとはきっぱり足を洗って、無敵のおばあちゃんになります」。幼少期は引っ込み思案で大人しく、誰かに話しかけてもらわないと友達ができない子どもだったと話す濱島先生。知らない世界に飛び込み、光を当てようともがきながらも『全ての人が幸せに暮らせる社会』を目指して進む素敵で無敵な一人の女性でした。

PROFILE

2018.1.12 医療保健学部 口腔保健学科 准教授
濱島 淑惠